溶ける寸前の雪だるま/脊髄反射のように書いてるネタ短文っぽい何か

溶けきるまでの日々。ネタのような雑記のような創作のような文章を垂れ流しているブログ。

めしのしめ

 

ご飯のお供。

 

お供。

 

いぬ、さる、きじ的な。

 

ご飯はお供を連れてどこに行くのか。

 

ご飯はお供を連れて旅に出るか。

 

それは胃の中へか。

 

つまりは片道切符の旅へ立ったということか。

 

お供と一緒に。

 

それは……物語が始まった瞬間から……バッドエンドなのでは……?

 

ご飯のお供とは……道連れ的な意味だった……?(曲解)

 

 

片道切符といえば

 

地獄への片道切符サァ!

 

みたいな表現に使われるわけだ。

 

 片道切符を二回買えば往復できます。地獄で切符は購入できないのでしょうか?

乗りっぱなしでまっていればそのうち元の場所に戻ってきません? 無理? 無理か。そらそうだ。

 

地獄電車しゅっぱつしんこーである。

 

むしろ帰ってきたらそれはそれで別の物語はじまっちゃうよな、である。

片道切符も押し付けられるもんで、そもそもどこで購入できるのか知らない問題まである。

地獄への切符売り場ってどこよ。何色の窓口よ。

 

というか比喩だからそもそも切符ねぇし電車に乗るわけでもない。

 

とは言わぬお約束。

 

そういったものも時代と共に移り行くわけで。

今ならなんていうのがはまるんだろうか。どういう比喩がぴったりとしっくりとがっちりと来るんだろうか。

 

今なら地獄へのG……

 

なんか色々な問題が発生するからやめといたほうがよさそうなフレーズになりそうだからやめよう。

やめる勇気!(保身)