溶ける寸前の雪だるま

溶けきるまでの日々。ネタのような雑記のような創作のような文章を垂れ流しているブログ。

ぴーぴぴよぴよぴぴよぴよ

 

ひよこが育ったら鶏になるのだ。

 

……

 

ひよこがそだったらひよになれよ。

 

……

 

…………?

 

ひよってなんだよ……!

 

 

 

ひよこが育っても鶏になるが、ヒヨドリにはならんのだ。

ひよなのに。ひよのこなのに。字面的にひよという鳥の子っぽいのに。

 

ひよひよいってる……!

 

とか違うでしょ。じゃあヒヨドリのこはなんていうんだよ。

雛? 雛です。

ヒヨドリの雛。

 

いやそここそひよこちゃうんか。

 

てめぇなんざぁよちよち歩きのひよこなんだよ……!

 

とか比喩表現で使われとる場合か。ヒヨドリに気を使わせるな(別に使わせてない)

 

あ、自分ひよこです……ども……

 

あ、ヒヨドリの雛です……ちっす……

 

ってなるだろ。なんか気まずい空気流れるだろ。

流れない? そんな馬鹿な話が……いや、あるかもしれない。

 

聞いて聞いてwww俺wwwヒヨドリってネーミングあんのの子供なのにwwwひよこじゃねーですってwww自分でつけといてwww人間www

 

わwwwかwwwるwww

 

とか意気投合するパターンはあるかもしれない。

人は犠牲になったのだ……ネーミングの犠牲、その犠牲にな……

いや自業自得でしょ。

 

 

そもそも鳥は喋んねぇ。

 

 おれはしょうきにもどった。

わかりあうとは妥協を重ねる事に似ている

 

1代目2代目3代目と続いていくのだ。

 

季節はぐるぐると回っているが、同じものだろうか。

 

冷夏とか暖冬とか、変化球が来る当たりそうは思えないのだ。

そこに代変わりしてなれなかったから感を見ることができないだろうか。

次の年からだんだん元通りの夏や冬に戻ったなら更に倍率ドンではないか。

 

代変わりでもなんでもいいからずっとそうなってろよ!!!!

 

と毎度の如く情緒不安定全快で叫びたいところではある。

かといって代替わりしてくれ、なんていうのは所詮1人間の小さな主張に過ぎない。

むしろ、人類の半数がそういったところで季節はそうする必要などない。

 

季節と我々はわかりあうことができるだろうか。

それが妥協を意味するなら今がそうだ。

我々は巨大な存在である季節に従って適応していかなければ生きていけない。

冬にあったかくお願いな!!!! とマッパになることは命を縮めることでしかないのだ。むしろ捕まるから人間同士ですらそれは分かり合えていないことになってしまう。

 

しかし、かといってでは人間が思う通りに季節を合わせられたとしたらそれはそれでわかりあえたといえるだろうか。

 

という人間がでてくることなど目に見えているのだ。

結局わかりあえたにせよそうでないにせよ問題が起こる。

むしろ問題を起こす。

季節と分かり合う前に人間同士で分かり合わないとどうしようもないということだ。

だからいつまでたっても季節とわかりあえないということだ。

残念。

パラパラノイアは踊りだす

 

負のイメージ。

 

そんなわけがない、と思ってもどうしても印象づいてしまう事というのはあると思うのだ。

 

辛いと時に聞いていた音楽がマイナス作用するときがあるだろう。

励まし効果だけではないのだ。

きくと辛かったことがフラッシュバックしたり、また同じようなことが起こるのではないだろうかと、そんなことはないと思っていても躊躇い近寄りたくなくなる感じ。

 

まさに特に昨年負のイメージがつくようなことが重なって起きたりした。

結果色々思い浮かばなかったり書きたいけど書けないみたいなクソみたいなメンタルが訪れてしまったのだ。

ファッキンイメージである。

書いているものが幸せな感じじゃないのが拍車をかけたのかもしれない。

負のイメージはどうすれば消せるのだろうか。

俺はいまだに子供のころからのいくつかの音楽とか景色とかのイメージも全く消せていないのに。

トラウマクリーナーとか販売されないのだろうか。

 

あなたのトラウマ! けしてしまうま!

 

みたいな。

本当に消えるなら糞みたいなジョークが付随されてても許せる。

でも実際トラウマ消します! が物理的に記憶消します! だと問題置きまくりなんだろうな。

記憶消さないパターンでもつまり辛くはないように洗脳するみたいなことになるし。

問題しかないなおい。

プラスにできて解消できるならそれでもいいって人は多そうだけども。

実際悪用される。

悪用する奴が悪いんだけど、難しい問題だ。

 

そこで! この悪い考え散布剤をセットで購入すればそんな悩みも解決できます!

 

みたいなことが起きるかもしれない。

 

効かない奴は淘汰されていくかもしれない。

 

悪い人間がいなくなるだろうか。

 

そしたら世界は平和ですか。

 

市民、幸福は義務です。

 

コンピューターさま!

 

 

ストレスレスはストレスに繋がらないか

 

あああああああ!

 

ああああああああああああ!

 

と叫ぶことはストレス解消につながるということを聞いたことがある気がする。

 

叫ぶことがストレスを解消してくれる。

 

現代で叫ぶと人から奇異の目で見られる。

人から奇異の目で見られるとストレスがたまる。

ストレスがたまるから叫ぶ。

 

そうか、これが永久機関……

 

違う? 違うか。

違うな。

 

ストレスを感じない人が無敵だと思う。

けれどストレスがない世界というものが想像できない。

単体で存在している風で色々繋がってしまっているからだろう。

なんかなくなればなくなったでバグる気がする。

なんとクソみたいな部品なのだろうか。

 

わらしべさんの流れはどうも怖さがぬぐえない

 

わらしべ長者というお話があるのだ。

 

一本のわらしべから最終的に屋敷の主になるみたいな話なのだ。

世界中に似たような話があるような種類の話である。

 

わらしべ長者

 

屋敷の主が返ってこなかったし、あるじんなってよ! っていわれたからあーるじ!

 

……

 

……いやそれはさすがに無理くりすぎない?

 

ってならなかった? 手続きとかどうしたん? ってならんかった?

維持費とか、屋敷の主というには他の仕事とか資産とかごとのっとってるっぽい(裕福の理由)とか……

 

ここで話に対する分かれ目は主人公だと思うのだ。

注目すべきはそのすべてが運だったか策略に切り替わってしまったか。

 

果たして、最初から最後まで全ての欲を消してしまえたのだろうか。

そんなことがありうるだろうか。

 

屋敷の主……旅立つ……帰ってこなければ……

 

いいや、そこまでの異常なる運があった。いや神の道しるべのような。

実際おつげスタートもある。

 

にしては、贔屓されすぎである。

何せ、屋敷の主や住人が推定不幸になっているのだ。

主人公が幸福になる対価というには、それが運というには、あまりにあまりではないか。

 

とかホラー展開に無理やりしようとか考えていた時にまず根本的な部分に気が付いてしまった。

というかそんな裕福な屋敷とか持ってて旅ってどこいくねん。

全て放り出してどこいくねん。

誰も止めずに?

主を?

 

なんか元からやべー屋敷だった説ない?

推定主がいないと主をやめれない屋敷だった説よ。

 

つまりわらしべ長者とはわらしべ長者(バッドエンド)だった可能性があるのではないか。

成功者のように見えて、その実その屋敷に囚われ続けてしまったというエンドだ。

それを成功のように描いているのはつまり……

 

 

無理があるか。

無理があるな。

でも初手のアブわらしべの時点で無理やっちゃ無理あるでしょ(失礼)

子供の年齢度合いにしちゃ十分に危ないからな、アブ。蜜柑とならいっかな! じゃないが。

割と初めて聞いた子供の時から『え、危ない』と思ってたぞその辺。

 

さがっていくの、あがっていくの、どっちかはっきりしていって

 

気温が上下していると思うのだ。

なんか。

 

体が

 

ついてけないよ、お前には!

 

ってなんかバンドとかものグループものみたいな決別をしようとしているのか調子も崩れる。

 

組んだ覚えもねぇ!

組んだ覚えもねぇのに干渉してきやがる!

 

さんをつけろよといわれんばかりに憤っても体は超能力的に目覚めたりはしないのだ。

 

とはいえ気温側からすれば

 

後からきてめっちゃ干渉してくる上にめっちゃ観察してくるやん……こっわ。

しかもめっちゃ文句までいうてくる……糞クレーマーやんけ……

 

って感じかもしれぬ。

気温はクレーマーとか知らんでしょって?

そんなこといったら気温とコミュニケーションとる技術ないでしょ!!!(情緒不安定)

 

情緒も不安定にもなるわ。

おねげぇしますよげへへっていってなんとなかなるなら気温にごますってもいい。

だけどそんなことにはならない。ならないんだ。

だからこの話もオチがなく終わりなんだよ。

 

そのくらいいいじゃん、の類の言葉はヘイトためやすい

 

なぜ人は酢豚にパイナップルが必要かどうかを議論してしまうのだろうか。

 

ちなみに要らないと思う派に属している。

 

要らない人はいれない、いる人はいれる自由があるはずなのである。

 

しかし、時にこういった論争はその自由をなくそうとしてくるのだ。

 

からあげだ。

これはからあげを思い出させる。

 

レモンかけるかかけないか論争だ。

かける派ほど

いや別にいいやん

っていうイメージがあるのは偏見なのだろうか。

 

そう。

大体いれない、かけない派ばかりが損をしていく。

 

大皿でやられると損をするのはいれない、かけない派なのだ。

かける、いれる派は全体に影響するのだという自覚を持ってほしいのだ。

それは個人の範囲ですまないということを。

 

ここに訴えかけていこう!

 

いや大皿でやらなきゃいいんやで。

 

個別に頼もう。

レモンはともかくパイナップルとか後入れ難しいから。もう別々に取ってやろう、とかじゃなくて個別に頼もう。そうしよう。

それで解決するのに、いつまでかけるとかけないを押し付けていくのだろう。

人は愚かだ!(小さなことで無駄に大きい主語)