溶ける寸前の雪だるま/脊髄反射のように書いてるネタ短文っぽい何か

溶けきるまでの日々。ネタのような雑記のような創作のような文章を垂れ流しているブログ。

投げて遊ぶせんすがない

 

センス。

それはいろんなところで必要といわれるもの。

 

センス。

なんかこっちを貶めるために使われて

 

ええっと、つまりどういうことですか?

 

とかいうとそれだけで

 

センスねぇな。

 

って言われる空気で、その一言を言う人は大体何の説明もしてくれないので

 

結局どういうものなの? ってなる人が多そう……

 

みたいになるジャンルが多そうな概念。

センスあるよね!

みたいにふんわり褒める時には有効。

だからこそふんわり貶めるためにも使われることが多い。

 

センスとは何か。

『微妙なことを悟る』みたいな説明がされていることが多いものだ。

 

なんか大雑把!

 

と思う人もいるのではなかろうか。微妙な感覚をこの説明でつかむこともセンスである。

つまり、意味を調べることからセンスを問われているのだ。

どういうことなのだ。

 

センスを得るためのセンスが必要なのだ。

センスを得るためのセンスを調べるセンスがないからそのセンスを得るにはどうするのか考えるためのセンスが重要なポイントになってくるのだろうか?

 

いや鬱陶しい。

 

もう扇子でいいんじゃないですか。ありがちなボケだけど。

もうセンスがうんぬんいってくるやつには扇子ぶつけようや。

 

ほぅらお望みの扇子ですよ!

 

っていって沈黙するまでぶつけようや。いや、ちが、っていう言葉を遮る勢いでぶつけつづけようや。

 

沈黙は金! 沈黙は金!

 

っていいながらぶつけよう。そのうちわかってくれるはずだ。相手にセンスがあれば。

 

けなすために言葉を吐くときの曖昧な言葉ってのは大体本人もわかってない場合が多いから大丈夫。俺も扇子ぶつけて何かわかるセンスって意味わかんねぇなって思いながら言ってるし。

 

センスがないって言われたから扇子投げとるんですわ!

そういう意味じゃない?

センスねぇからわかんねぇ!

 

っていって投げよう。

相手がそれを保証してくてるんだから、きっと大丈夫なはずだ。

 

センスをぶつけてるんだ!

 

っていうとなんかセンスがいい響きに思えたりしない?

いう人間と場面による?

だいたいのことはそうだろうが。ちくしょうめ。

 

投げるせんすがない?

 

そらもう匙投げつけるしかないわ。

 

はははは。

 

寒いってか。そらエアコン要らずですね。