溶ける寸前の雪だるま/脊髄反射のように書いてるネタ短文っぽい何か

溶けきるまでの日々。ネタのような雑記のような創作のような文章を垂れ流しているブログ。

心の鍵穴に接着剤詰めたの誰?

 

九日……

 

 

心か……

 

は台詞的な響きが似ている。

 つまり

心は九日なのかもしれない。

八日でも十日でもないのだ。

しかし

 

心(人間)は数字じゃないんだ!

 

みたいな台詞を吐くキャラ等もいる。

そのことを考えるとやっぱり九日ではないかもしれない。

心とは難解である。そもそも心が九日っていってみたけど意味わかんないしね。

 

心の場所はどこだよって話を前書いたのだが、そも心とはなんだろうか。

 

心を開いて!

 

っていうじゃないですか。

つまり、心は開けるもの。

ところで、あじのひらきっていいますよね……

 

心……開く……物理的……ウッアタマガ……

 

なんかホラー展開がありそうな気がしたがそんなことはなかった。

心を開いて瞳を閉じてはともかく。

 

あなたの心に触れたい。

っていう事もあるじゃないですか。

つまり、心は触れることができる……?

 

あなたの心が見えない。

ということもある。この場合、心は閉じている等とも表現される。

つまり、心の前にはなんか開いたり閉じたりする扉めいたものがある……? 肉?

ひらいたりとじたり……心……時に胸辺りをさす……

え? 開いたり閉じたりするのって肋骨?

触れたいのは心臓……?

猟奇的な香りがしてきた。やめよう。

 

心の闇。

という表現もある。

心は光が届く場所という事だ。光がなければ影は生まれない。そこには闇しかないはずだから、わざわざ心の闇等いう必要はないはずだ。

 

他人がこの表現をするとき、閉じている状態ではもちろん光はないわけだから、闇を確認するには開いてないといけないと思う。

でも心を開くというのは大体正の表現なわけで、闇は感じないはず。

扉を開くことで闇があふれ出たのだろうか。

心は闇を格納できる……?

 

心は見えない。

心が見えるようだ。

 

みたいなことも言う。

基本は見えないものらしいのだ。見えた気がすることはあるらしい。心臓と勘違いしたかもしれない。

 

見えないのに闇が中にあるかないのはわかって、開いたか閉じたりできて、それが相手もわかる……?

 

 

俺には心を理解することができないようだ。

やっぱりもう九日って事でいいんじゃないですか。

 

毎月九日はやってくる。

それは心は身近にあるってことなんですよ。毎週火曜はお得デーとかなみの身近さということよ。理解できなくとも意味はあるみたいな感じでいいでしょ。ふんわりさせときゃ、実際いつしか解明されたときでもいくらでも言い訳はきくもんやで。

せやろ。

そるぇでいいだるぉっ!!!!(巻き舌情緒不安定)