溶ける寸前の雪だるま/脊髄反射のように書いてるネタ短文っぽい何か

溶けきるまでの日々。ネタのような雑記のような創作のような文章を垂れ流しているブログ。

未満でもヒーロー

 

〇〇マンってヒーローで見る以上ヒューマンもヒーローってことなんじゃないのか。

全人類ヒーロー説である。

 

我々は生み出されるべくして生まれたヒーローだったのだ。

だから全部悪いことは悪堕ち扱いになるのだ。なんか衣装とか黒くなったり2Pカラーになったりしなければならないということである。

 

全人類がヒーローなら敵も元々はヒーローだったもの。

つまり、人生どう転ぶかわかったもんじゃないというメッセージ……!

違うな。違うか。

 

マンがつけばヒーローってことになるならやる気満々もヒーローってことになるもんな。意欲はあっても本体がないから意味わからんことになるもんな。

 

アンマン肉まんピザまんだってヒーロー扱いされても困るもんな。そりゃ冬場はヒーロー扱いされるかもしれんが。夏とか厳しいやんけ。せやろ。いつだっておいしいのは確かだけどな。

 

ヒーローといえば変身する、みたいなイメージも一部ではある。

つまり我々がヒーローだとするのなら、その以前の姿があるということではないだろうか。

 

今より貧弱な生物になる……?

 

あれか、群生ヒーローみたいな。

 

……ヒーローっぽくはないな。

 

いや、だからこそ単体で生き抜けるヒーローを特別視しているのかもしれない。

 

そも、人間はいつだって自分という人生という話のヒーローなんですよ!

巨大ロボも必殺技もなくてもそういうことなんですよ!

敵も博士もヒロインもいなくてもそ……もうそこまでくるとヒーローいらないし、ヒーローと呼ばれなくね?

というか全員ヒーローならそれが当たり前の存在であるということだから英雄とはいわないのでは。

俺は正気に戻った。

終わろう。