溶ける寸前の雪だるま/脊髄反射のように書いてるネタ短文っぽい何か

溶けきるまでの日々。ネタのような雑記のような創作のような文章を垂れ流しているブログ。

グルメの舌

幼いころは輪をかけて食というものをこだわることにあまり興味がなかった。

食べれるものだけ毎度食べればいいのだ的な思考だ。

食べることが嫌いだったわけじゃない。ただ、こだわってもっとおいしくなるように、だとかもっとおいしいものの探求に、だとかいう思考は特になかったという話だ。

馬鹿みたいな舌でもある。高級なものの味とかよくわからんのだ。

 

こ、こうきうですね……

 

みたいな反応しかできないのだ。

やめるのだ。やめてくれ。やめてください。

 

「俺/私、料理の味わかるんです!(むふぅ)」

マウントを止めろ!!!!

 

だって反応に困るのだ。

だって、舌が感じないのは事実だけどそれで「嫉妬」というほどの強い気持ちはさすがに俺の怨念回路でも生み出すことができないみたいだし、あれこれ食べれるのって便利でいいなとは思うけど、食べれる人自体をどうこう思ったりもしない。困ると困惑がどうしても強くなるのだ。

だからそのマウント行為されても

「せ、せやな!」

みたいな反応しかできないのだ。でもマウントとりたがりーのしたがる人はそんな薄いリアクションじゃあなぜか納得してくれないのだ。更に困るが生み出されてしまう。

だからってその場で

「だから?(煽りじゃなくて素の疑問として)」

といったら場がなんかもにょもにょするでしょ! 知ってるんだからね!

正直は美徳にならないことばっかりでしょ!!

 

 

「料理の味がわかる」アピール=お前わからんねやろ!ゴミカスクズゥゥゥゥゥ!!!(多分そこまで思ってない

 

みたいな、な?

表情からもな?

なしてそれで優越感覚えるのか。おいしく食べられるという事はいいことではあるが、それはアピールすることで人から賞賛を受ける事だろうか? 自慢に値することだろうか。

俺は

 

「俺〇〇を美味しく食べられてすげぇ!」

 

と自分で思った経験がないのでこの感覚が全く分からないのだが、人のなかでそれは優越感を覚えて相手より優位に立てると思えてしまうのが常識なのだろうか?

これが

 

「人には毒とされている〇〇を美味しく(無害に)食べれてすげぇ!」

 

とか

 

「俺〇〇食べて通常人が感じない成分であるところの〇〇が含まれていることが味覚的にわかる!」

 

ったら本当にすごいと思う。なんか研究したら新発見でそうである。

 

幼いころから味の教育を受け、努力していろいろな味の違いがmg単位でわかるようになりました!いろいろな場面で役に立ててます!

 

でもすごい。技術的に昇華していて素直に賞賛できる。

 

特殊な舌を持っていて、通常90%以上の人間が感じ取ることができない成分を舌で感じ取りその成分が何か、どのくらい含まれているのかも確実にわかります。

 

天然でも特殊性がある。すごいと思う。

 

ということでグルメで俺味がわかる、お前らとは違うんだぜドヤァアピールする人は使われている素材がmg単位で分かる感じになったらいいんじゃないかと、思います(投げやり

そのくらいのアピールなら多少鬱陶しくとも素直に褒められるから。(投げやり結論

 

だからただただここの味がわかる! というだけのアピールはやめてください。わかる人同士だけにしておいてー。少なくとも俺は反応に困る。