溶ける寸前の雪だるま/脊髄反射のように書いてるネタ短文っぽい何か

溶けきるまでの日々。ネタのような雑記のような創作のような文章を垂れ流しているブログ。

ぎようざ

ねぇあなたは何座ですか?

 

餃子!

 

 

という、一種のギャグの流れのようなものがあります。

 

それらの大半はとてもつまりなく、あやまって使用してしまえば人間関係を壊す、もしくは、そこまでいかなくともぎこちなさというものを発生してしまったり、喧嘩を誘発するものでありえます。

 

確かに。

 

この直訳しそこねた文章の羅列のような行動は、それとよくにていて、相手にストレスを誘発する結果を多く起こしてしまうものです。

 

では、何故彼は餃子と答えましたか? 答えは簡単です。

 

彼は餃子だった。

 

それだけのことなのです。

 

貴方は今、狂気的何かにそそのかされたものを見るような目でみているか、疑問で首をかしげていますか? それとも、肩をすくめることで「ふぅ、こいつはいつものくだらないジョークだ」と呆れをジェスチャしましたか?

 

それはどれもが正解であります。ただ、そのテルしようした番号を押す行動はあなたに不幸を招くものでしかありません。すぐにそのボタン、停止をプッシュすることが正しい選択であり、幸福へつながる一つの正解です。

 

餃子はとてもおいしい。

 

それは、宇宙へつながる一つの真理です。

あなたは餃子が嫌いですか? それはなぜでしょう。考えたことがあるでしょうか。

それは……ニンニク?

もしくは、ニラであったりするかもしれません。

または、白菜でも、ベジタブルが貴方に破滅を引き起こす! と恐怖を呼び起こす材料となることから起こる拒否感からということだって、私が否定できるものではありません。

 

ですが、そうでないものにとって餃子というものはたいていおいしいものです。

彼は、ラーメン、チャーハンなどと仲が良い存在です。

あぁ、同じヌードル的存在だ! と確信していたとして、例えばカルボナーラなどと合わせることは好みがわかれるところです。

とある漫画キャラクターもこう言っています。

〇〇と〇〇で〇〇がかぶってしまった、と。

かぶることはときに人に時に間違った印象を与えてしまう可能性があるものです

 

さておき。

彼が餃子と答えた疑問へ迫る時でした。失礼。

 

彼はとぼけたジョークを言ったつもりなどなかったのではないか、ということです。

それは、彼の頭が衝撃を負った証ではありません。

そう、彼にとってそれはマストであり、夢と似たものであればどうでしょう。

 

僕は将来、ヒーローになるんだ!

 

という子供の夢をゲラゲラと笑い、嘲笑の的にすることに眉をしかめない人は少ないのではないでしょうか。

つまり、それが真実の証です。

 

彼は、餃子。

 

彼は、餃子という星の並びを発見してみせるという夢、その答え。

その表明。

 

だれがそれを笑ったり、指をさしたりできるのでしょうか?

 

それは純粋の証明でした。

 

ジョークと思い込んだ私たちの思考こそ、はずれた標識。

一時停止、帰り見ることが速度を出してしまうことへの近道でした。マップを見てください。いつだってゴールはあります。

 

我々は時折、子供の夢のような純粋さを時に忘れることは、大人の証明ではないことを理解すべきなのかもしれませんね(少々疲れを感じた私はこれをひとかたまりとした