溶ける寸前の雪だるま/脊髄反射のように書いてるネタ短文っぽい何か

溶けきるまでの日々。ネタのような雑記のような創作のような文章を垂れ流しているブログ。

雷を切ったような

 

まるで雷が落ちたような衝撃……!

 

 

それは……即死なのでは?

 

 

と毎度の如く比喩表現を無視した発言をしているわけである。

あるが、雷が落ちたよう! はちょっと行き過ぎている気がするという話なのだ。そうなのだ。

 

雷を切った

 

という話がある。雷切というやつである。

しからばどうなったか。半身不随になったらしいではないか。

 

これが嘘か真かは今議論する話ではない。雷に打たれれば、助かってもこのような後遺症を受ける可能性があるということだ。

 

……いい表現じゃなくない?

 

ってふと思ったのだ。

 

雷に打たれたように恋に落ちたのだ。

 

みたいなのって、どこか表現するにテンプレの一つみたいな印象がある。ある? あるよね?

でもあれやん。感電してるのって別にプラスじゃなくない? めっちゃ怪我するかショック死するで。

 

ショック死するような恋!

 

はもう蘇生が必要やん。ショック死したら恋はできやん。むしろ現世に帰って来いやん。それを乞い願われるいう話やろ。助けに行ってこっちをみないでくださいからのチラ見助けに来たくせに逃亡からの怒りで追いかけて怒りの矛先それ無関係やろが!!!! みたいなやりとりでバーン! やろ?

 

人間がどれだけ低い電力で死んでしまうかわかっているのか。

やはりプラスには思えない。うたれたようにって、想像でも明らかに死ぬからだ。さすがにようにもくそもないと思うのだ。

 

火刑にさらされたかのように、ってどう考えたってプラスじゃなくない? 燃え上がる恋とか愛とかっていっても限界ってあるのでは?

 

 

え? 何? それは想像力が貧困なだけ?

 

 

大体からしてそういう話じゃない? 注目するところとか疑問にそんな思う所でもない?

 

 

知ってる。