溶ける寸前の雪だるま/脊髄反射のように書いてるネタ短文っぽい何か

溶けきるまでの日々。ネタのような雑記のような創作のような文章を垂れ流しているブログ。

自分を保てるって信じれば大丈夫大丈夫。知らないけど。

 

記憶に残る。

 

覚えている事。

 

覚えていないことは記憶に残らない。

 

記憶に? 残る?

 

記憶するっていうやん。

 

記憶『に残る』なら記憶とは置き場所で残っているものは記憶ではないのでは……?(暴論

 

え? 何を言ってるのかわからない?

 

 

そんなん俺だってそうだよ!!!!!!

 

 

なんだ、じゃあ問題ないじゃん。続けよう(強弁

 

残ってるものは何だろうか。記録? 記録が残ると記憶になるのだろうか。記憶に記録が残ると記憶で……?

 

うおおおおお!

 

なんだそれはうおおおおおおおお!(錯乱

 

……

 

…………

 

………………

 

ところで記録と体験はちがう、みたいなこと主に創作で見たりしない?

話題変えても文は消さなきゃなかったことにはならない? しようや。しよう。決定した。

 

んで、

 

読んでる記録じゃあ、実際に体験したこの経験にはかなわない……!

 

みたいなやつ。あるでしょ。なんかそれで勝つ、みたいなパターン見るでしょ。そうでしょ。

 

じゃあ体験した経験の記録はどうなるんです!!!!

 

どういうこと? 頭大丈夫?

という言葉が聞こえてきそうだが、違うんです。

 

そう、VR!!!!

 

違う?

 

これもなんか違うか。なんか……あれ……全部違う? もしかして。そんなことあったりする? 夏の幻だったりする?

違うかなぁ。

 

体験と記録にどれほどの違いがあるのか。VRみたいに記録を脳内で自己視点で再生できるようになって、五感、思考も再現されたとしたらそれは記録を読んでいることになるのだろうか。

 

そんなもん長々体感させたら再生終わった時には洗脳されたみたく別人になってるかも?

 

でもみんないうじゃない。経験のほうが優れてるんでしょ? 

自分でないものを味わってもし経験にできるならじゃあしゃーないってなりそうじゃない?(サイコパス

 

ならんか。

ならんな。

 

記憶って儚いな。

 

そういう結論も無理やりすぎ?

そうかぁ……