溶ける寸前の雪だるま/脊髄反射のように書いてるネタ短文っぽい何か

溶けきるまでの日々。ネタのような雑記のような創作のような文章を垂れ流しているブログ。

わらしべさんの流れはどうも怖さがぬぐえない

 

わらしべ長者というお話があるのだ。

 

一本のわらしべから最終的に屋敷の主になるみたいな話なのだ。

世界中に似たような話があるような種類の話である。

 

わらしべ長者

 

屋敷の主が返ってこなかったし、あるじんなってよ! っていわれたからあーるじ!

 

……

 

……いやそれはさすがに無理くりすぎない?

 

ってならなかった? 手続きとかどうしたん? ってならんかった?

維持費とか、屋敷の主というには他の仕事とか資産とかごとのっとってるっぽい(裕福の理由)とか……

 

ここで話に対する分かれ目は主人公だと思うのだ。

注目すべきはそのすべてが運だったか策略に切り替わってしまったか。

 

果たして、最初から最後まで全ての欲を消してしまえたのだろうか。

そんなことがありうるだろうか。

 

屋敷の主……旅立つ……帰ってこなければ……

 

いいや、そこまでの異常なる運があった。いや神の道しるべのような。

実際おつげスタートもある。

 

にしては、贔屓されすぎである。

何せ、屋敷の主や住人が推定不幸になっているのだ。

主人公が幸福になる対価というには、それが運というには、あまりにあまりではないか。

 

とかホラー展開に無理やりしようとか考えていた時にまず根本的な部分に気が付いてしまった。

というかそんな裕福な屋敷とか持ってて旅ってどこいくねん。

全て放り出してどこいくねん。

誰も止めずに?

主を?

 

なんか元からやべー屋敷だった説ない?

推定主がいないと主をやめれない屋敷だった説よ。

 

つまりわらしべ長者とはわらしべ長者(バッドエンド)だった可能性があるのではないか。

成功者のように見えて、その実その屋敷に囚われ続けてしまったというエンドだ。

それを成功のように描いているのはつまり……

 

 

無理があるか。

無理があるな。

でも初手のアブわらしべの時点で無理やっちゃ無理あるでしょ(失礼)

子供の年齢度合いにしちゃ十分に危ないからな、アブ。蜜柑とならいっかな! じゃないが。

割と初めて聞いた子供の時から『え、危ない』と思ってたぞその辺。