嫌よ嫌よも好きのうち。
とかいうほとんどの場合通用しない言葉を現実で使うやつがいるのだ。
いやっつったらいやな場合が多いと思うのだ。
というか
嫌という→好き
好きという→好き
無敵か。
お前無敵かよ。
バリア!
宣言並みの無敵感があると思うのだ。
吾輩の辞書に人が嫌がるという現象はない
なのだ。
文字にしとけせめて。
人の嫌がることを積極的にしよう
の解釈違い極まれりといった様子である。
悪戯好きもこの範疇にある。
悪戯だから許される!
みたいな風潮こそ許されぬ。
悪い戯やぞ。
悪いって言ってる時点で自覚しろやぞ。
窃盗を万引きと呼んで緩和しているみたいな雰囲気があるやぞ。
びっくりどっきりも大嫌いだ。
なんかどっきり系を見かけるとむしろやらせでアレと思う派だ。
どっきりが面白いと思う人はどっきりが面白いと思う人同士でやっていてほしいと切に思う。
どっきり嫌いな人にどっきりかけて訴えられてもせめて
どっきりなのに!
という台詞だけははかないように粛々と受け入れてほしいものだ。
人が顔をしかめて嫌だって言ってる時には嫌よ嫌よも好きのうちはない。
顰めてない時も大体ないのだと思うべきである。