溶ける寸前の雪だるま/脊髄反射のように書いてるネタ短文っぽい何か

溶けきるまでの日々。ネタのような雑記のような創作のような文章を垂れ流しているブログ。

胃に厳しく遅く効くのは嫌だ

 

優しさを全ての錠剤に半分込めることができるなら、世界には優しさがそれだけ資源として溢れているという証拠になるのではないだろうか。

 

優しさ、とはなんだろうか。

 

いや、哲学的なことを言いたいわけではない。

厳しさの中に優しさとかそういう事とかじゃあないのだ。

 

どういう成分で物質なのか、ということだ。

 

だって『半分』と言い切れるという事は質量があるということではないのか。

質量を計ることが出来なければ半分とは言い切れないはずだ。

 

優しさという成分を含む物質〇gでちょうど半分。

こういうことじゃないのか。

 

優しさ、こめときましたよ!

 

とか、そういうんじゃあ半分とは言わないはずだ。

こういうのはあれよ。

はいおつり三百万円って三百円渡しながらいうふんわりさ(?)みたいなもんじゃないか。正確ではないのだ。だって三百万じゃないし。

 

半分。

半分なのだ。

 

あくまでも半分。

 

全体を優しさでコーティングしたとかでもなく半分というからには成分として含まれていなければおかしいではないか。

 

つまり優しさは成分。

 

え? 胃に優しいとかそういう配慮的な意味?

知ってるけどそんなことは知らんのだ。

 

優しさが成分としてあるならどこからとってきてるんですかって話ですよ。

成分としてある以上採取しなければならない。

空気? 空気か? 実は空気中に含まれていたりするか?

 

いやないか。

空気中に優しさが含まれていたら人はもっと優しくあるはずだろう。(問題発言)

もしかすると空気中にはあるけど他の成分に負けるくらい少ないだけかもしれないけど。

 

優しさという鉱石があるならどうだろう。

鉱石から成分を分解して薬にしているのだ。

 

つまり、資源が尽きると優しくなくなる……?

 

大分掘り終えてるからこんなことに……(問題発言)

 

 

実際は優しさどころか全部個体でできたりはしないわけだが。

薬で苛立ったり落ち着いたりするのは別とする。

 

しかし、優しさが観測出来たり目に見える物質だったりした場合どうなんだろう。

摂取したらどうなるんだろう。

本人がもともと持つ優しさと溶け合うだろうか。干渉し合うだろうか。

減っていくのだろうか。それとも溶けていくだけだろうか。

効果があるとして、それが尽きた時元に戻るのだろうか。

毎日全ての人間がそれを摂取し続ければ平和な世界といえるだろうか。

毎日みんながみんな他人に優しくにっこにこ! あらこんにちは! 争い一つおこりようのない無い優しい世界だ!

 

それはそれでどこか笑顔に恐怖を覚える気もする。