溶ける寸前の雪だるま/脊髄反射のように書いてるネタ短文っぽい何か

溶けきるまでの日々。ネタのような雑記のような創作のような文章を垂れ流しているブログ。

リンゴの反対は肉っていう?

 

愛情の反対は憎しみじゃあない……無関心なんだ!

 

っていう話を聞くのだ。

 

へぇ! そうなんだ!

 

とは思うも、うん? ってもなる。

 

いや……創作関連では特にそれ言うような場面でそれいってもまず根本的にそれで助かっても嬉しくもなくないか? ないくない?

 

どう? それで……それが事実だとして何か問題解決してなくない?

 

感心寄せているから一緒! でいいのか? それ一緒のカテゴリって逆に大雑把すぎない?

 

守ろうとするのと害そうとするの一緒ってことでしょ? ボディーガード大激怒じゃない?

 

というか、逆というなら感情の反対じゃない? 感情の反対が無関心じゃない?

 

違う? 違うのか……

 

感情の中で反対っていってるんだから愛憎はあってんじゃあない?

って割と思うのだ。わざわざ愛情の反対無関心って言っている人につっこみにいこうとかは一切思わないけれども。

 

感情向けられてりゃいいって話でもないんじゃないのか、といつも思うのだ。

炎上マーケティングはわかるし、注目を集めれば結果手にプラスになるような事態は割と多い事を知っていてもだ。

 

それに注目が集まることで好きになってくれる人が増えたとしても、もともとの嫌われているものがひっくり返る事なんてまぁない。昨日大嫌いだったけど今日めっちゃ好き! はちょっと不安定な人間からしても洗脳かなんかを疑うのだ。

効果的、ではあっても同じ位置にいる、には違和感があるということだ。

 

 

反対じゃないとしても割と別の位置にいるものだということは変わらないのだから、わざわざ訂正してまでいうことじゃないのでは?

愛することと憎むことは似ている……というのもよく聞くが、熱量や執着の仕方が似ているというのはわかるけどさぁ……それを言っちゃあ強い感情は全部そうじゃない? みたいになる時がある。我ながら面倒くさい感情の流れだ。

 

好きと嫌いは同居もするからというのもあるからかもしれない。

好きと同時に嫌いである、は別に感情として矛盾していない。

 

矛盾してないから同じ! 近いもの!

 

っていうのはおかしいやんって話。

だから無いのが真逆!

っていうのはちょっと極端というか。

 

 

いろいろ言っても、よく聞くしそれで納得する人が多い以上、少数派なのだろうけれども。

 

 あと愛情の反対は――はきくけど憎しみの反対は無関心、とはあんまりきかないよね。

じゃあ嫌いとか憎しみの反対はなんなんだろうね。無関心であってる? これはこれでまた個人的には違和感があるん(略)