影を踏む、影ができる、
影ふみ遊びというものがある。
影がある人、という表現がある。
影ふみ遊びとは……つまり……そういう……?
全く違う
影を踏んでないとマグマに落ちる、影だけ通っていく遊びをしたことをある人もいるだろう。
逆に光の下でしか活動できない遊びはどうだろう。
簡単すぎる?
いいや、そこにしかし影はあるのだ。
そう、つまり影を忌避してもそこに存在するのだという学びさえ与えてくれるだろう。
あんなに夏にはありがたがられるのに、影を踏んでしまう事にためらいは覚えれらない。
そこにある当然になってしまったものに対して、人は酷く無関心にも残酷にも傾きやすいという証左ではないだろうか。
光踏み遊びとは、つまりもう一度そこにある当たり前のものを捉えなおすという儀式ともいえるのである。
……
そんな微妙なクソの役にも立たなそうな道徳発言みたいなのはいらない?
はい。
実際、遊びにそんなこといわれると多分くっそ冷める子供続出するよな。