溶ける寸前の雪だるま/脊髄反射のように書いてるネタ短文っぽい何か

溶けきるまでの日々。ネタのような雑記のような創作のような文章を垂れ流しているブログ。

ヘリコプターの羽もバターになるのだ

 

そんなにぐるぐる同じとこ回って、バターにでもなりたいのか。

 

のような発言を聞くようなところがあったりなかったり、実際耳にすることはないが文字で目にすることはあったりする。

 

バターになりたい奴がいるか?

 

いなくないか?

 

といえばそれまでの話なのだが、人の趣味とは千差万別である。

もしかしたら

 

将来は、いいや、一秒後にすら己はバターであればいいと願っている……

 

という人がいるかもしれない。

 

いや、それにしたって方法正しいのか。

バターとは容器に入れて振り回せば確かにできるようなものだが、ぐるぐる単純行動繰り返してなぜ人がバターになると思ったのだ。(いや、比喩というか揶揄というか……)

それでなるのであれば歩行するだけでバター化するではないのか。

 

もしかして、知らないところで発生しているのか、バター状の人間が……

 

しかしおかしいではないか、我々は同じような過ちを繰り返している。

(浅い社会派みたいな発言)

 だというのにバターにはなっていないのだ。

同じく同を繰り返すことでバターになるというのであれば、人類総バターでなければおかしいではないか。

 

つまり人は同じようなことを繰り返そうがバターにすらなれぬ(?)のである。

そう、つまりバターは格上存在。(?)

いいや、バターこそ人に(中略)

 

やがて世界はバターに征服され、バターの海に飲まれるであろう。

 

なにがいいたいかって、そう

 

バッタバッタと飲まれバターと倒れるのだ。

 

バッタバッタ。

バッタバタ―。

 

すっきりした。ダジャレも定期的に吐き出さねばならぬ(?)。

何故前振りにもならぬ前振りにそこまで時間をかけるのか。

俺もまた学ばないがバターにはなっていない。

人はバターにもバッタにもなれぬが、バッターにはなれる。

だからなんだと言われも困る。

 

バッタのバターを想像して気持ち悪くなった。

昆虫がダメすぎるな。

未来に生きていけない。

大体のものはバターぶちこんどきゃ多少なり上手くなる。

しかし……そればかりは……バターでソテーしても無理なのだ……

 

 

おわり