溶ける寸前の雪だるま/脊髄反射のように書いてるネタ短文っぽい何か

溶けきるまでの日々。ネタのような雑記のような創作のような文章を垂れ流しているブログ。

呼吸がうまくできないのはその時きっと精神的に宇宙にいるから

 

空が海になったなら、我々はその日から深海魚だ。

宇宙が空になったなら、そこから見た我々はどんなに歪に見えるだろうか。

物珍し気に観察されるだろうか。我々が深海魚を見るように。

 

鍋にされるだろうか。アンコウのように。

鍋食うんだろうか。宇宙人。

グルメだったりして、そんなものは料理ではない。知的生命体の本当の食事というものをお見せしますよ……とか言い出したりしないだろうか。

 

深海魚と我々が仲良くできる日は想像できない。

何せコミュニケーションが取れない。

 

同じように、宇宙からなんか美的センスも何もかも違う、こちらを深海魚のように見る生き物がやってきたらそれは何をしに来たと思うべきだろうか。

 

やっぱ鍋だろうか。

鍋に拘り過ぎだろうか。

冬だから勘弁願えないだろうか。実際はそんなに食べる方でもないけどアンコウからどうしても連想してしまうのだ。

アンコウは光る。

我々は光らない。

光が届く深海では、そういう機能はいらなかったのだ。

つまり、鍋には適していない。

宇宙人は諦めてくれるだろうか。

 

何の話をしていたろうか。

深海の話。

宇宙の話。

 

深海と宇宙って似てね?

みたいな話はたまにきく。

どちらも人が探索しきれてないし、暗いし、呼吸できないし。

何より人という生物がいくのに向いていない。そのままでは探索さえできない空間。

違いは宇宙に深海魚のような存在を見ることがないことだろうか。

だから、つまりその、宇宙にとっての深海魚とは我々であるという事ではないかとかいったらなんか深いっぽくない? みたいな。

むしろ不快ってか。

こんちくしょう。

 

 

我らは宇宙に夢を見る。

じゃあいつの日か、深海魚が地上に夢を見てくる日も来るかもしれない。

 

その日が重なったらカオスだろう。

宇宙人は我々と深海魚に驚き、我々は深海魚に驚き、深海魚は我々はなんか想像はしてたけど宇宙人になんだお前ってなる。

いや、そうでもないか?

驚いたり戸惑ったりするの我々だけってこともありえる。

中間はストレス貯まるって誰かがいってた。

こんにちはする宇宙人とこんにちはした深海魚に挟まれる我々。

我々は地球人だ!

と宣言してもどちからも『知ってる』されるのだ。

我々は我々でも、我々は宇宙人だ、はパワーワードなのに。我々は深海魚だ、も割と強い。クトゥルフだぁ! って発狂する人とかでそう。

 

……

 

…………うん。

 

つまり結論はどういうことかというと、

いつ深海魚とか宇宙人とか来ても大丈夫なように心構えをしておこう。

そういうことだ。

 

ごめんすごくてきとういった。

いや、初めから終わりまでてきとうじゃないことなかった。

 

じゃあいつも通りだからよくないか。

 

いいな。

別に問題はなかった。

 

やったぜ。

 

 

宇宙は懐が広いと信じているので平和的に

おわり