ホットケーキが冷めたらケーキになるかっていうとならないのが困りものだよな
毎度毎度ごとく頭痛になるという事は、それだけ頭痛と接する時間が長いという事であり、思考を頭痛というものに必然的に多くさくことを意味する。
頭痛で思考にぶにぶのにぶるなのに思考が頭痛で満たされるとはこれいかに。
頭痛とは……思考とは……
さて、頻度が平均として高く頭痛に陥るものを頭痛もちなどといったりするわけである。
頭痛もち。
頭痛、持ってます!
もちもの。
もちもの?
RPGとかで見かける
それをすてるなんてとんでもない!
みたいなパターンのもちもの?
呪われてる……呪われてない?
ステータス異常ではないのだろうか。
もちもの。
頭痛を持つことができるだろうか。
それは……人の傲慢なのではなかろうか(おめめぐるぐる)
ということ(?)で、発想を変えてみることにした。
頭痛が『来ている』のではない。
我々人が頭痛を『もっている』わけでもない。
我々が頭痛に会いに行っている。
そういうパターンである。
何言ってんのか頭痛で頭キマってんのか?
と、こんなことをいうともしかしたらそんな風に思われるかもしれないが、これが通常運行である。頭痛は関係なかった(むしろそっちのほうが手遅れ感あるけど)
どこにいるのかは定かではないが、ここでは仮に時間という場所にいるとしよう。
時間の流れ→→→→→→→→→→→→→→→→→
この流れの中を我々も通るのだ。しかし、我々人は時間が流れていると観測はできても見ることも居座ることも支配することもできない。
時間の流れ→→→→→→→→→頭痛→→→→→頭痛→→→
だから、そこにそうする存在がいた場合、気付くことももちろんできないし、そうなれば避ける事どころか反撃等する余地もない。
時間の流れ→→→→→→→→→頭痛→→→→→頭痛→→→
びゅーん 三 人
と人がこう時間の流れを通るうち、その通り道によっては頭痛が地雷のようにいる。頭痛たちはむしろ地雷だなんて思っていなく、むしろ
なんや! なんやお前! なんでこっちくるんや! やめろや! 広いやろ……広いやろ! なんでわざわざつっこんでくんねん!
となっているかもしれない。
ただ前述のとおり、人は時間という空間に対して無力である。無力であるがゆえにある意味無敵であるのだ。
だから、何か警告されようが威圧されようがいるよー! って旗をぶんぶん振られていようがそこを通るしかない。通っている自覚もなく。
そう、つまり人は頭痛になるのではなく、なりにいってる、ということなのかもしれないということだ。
仮に頭痛という概念存在がいて、その居住空間を通っているために、必然的にそうなってしまうということだ。
頭痛自体に敵意も何もない、痛ましてやろうとか、攻撃してやろうということもなく、ただただ『えぇ……いきなりつっこんできて痛がりながら通ってってる……こっわ……』となってるだけかもしれないのだ。
……うん。
なんかいつも通りの頭痛がきたから、考え方ひとつで何とかならんかとか思ったが、なんともならん。
というか来てもいっても頭痛になる事実は変わってないから一緒じゃんな! はははは!
はははははははは!
はぁ。頭痛くなってきたわ。
頭痛なのに更に頭が痛くなるとは、これはどういう……