溶ける寸前の雪だるま/脊髄反射のように書いてるネタ短文っぽい何か

溶けきるまでの日々。ネタのような雑記のような創作のような文章を垂れ流しているブログ。

VRの中でVRを体験するVRゲームをVRで鑑賞する趣味

 

本は紙で読みたい派という人がいる。

電子媒体が便利だからそっちしか読まないという人もいる。

 

どっちもいてどっちもいいのだ。

 

ところで、VR技術というものがある。

 

VRで紙媒体の電子情報を読みたい人の場合は紙派に含まれるのだろうか。

もっと進んで創作のような電子の世界にダイブできるようになったとしたとき、紙媒体っぽい電子情報で読みたい! という人はいったい何派になるのだろう。

現実紙派の人はダイブ紙派の人と融合するだろうか。

現実電子書籍派とダイブ電子書籍派は仲良くできるだろうか。

 

いやwwww時代はダイレクト脳文章だよねwwww

 

みたいな新しいのもくるには違いない。

拘りがあるほど多分融合しないのだろうと思う。

現実紙派とかは「そこに現実の紙たるにおいはないのだ」とかいいだすし、ダイブ紙派は「現実紙派は場所とったり色々リスク高すぎてさすがに時代遅れっしょ」みたいなことを言い出すのだ、きっと。

それを見た電子書籍派がまた嘲笑している時は仲良くしつつ裏ではお互いを罵倒し合っている。

強硬派と融和派が生まれ、それらを丸ごと最先端の脳読み込み派みたいなのが下に見るという地獄が展開されるんですよ!!!! なんて時代だ!!!!(情緒不安定)

 

全部本は本で文章は文章なんだから仲良くしろよ!!!

 

と、本にあまりくくりがない奴がいうまでがテンプレートである。

拘りのない人間にはわかるまい……

とまた反発が生まれるのだ。我々はなぜ低反発素材にはなれぬのか。

 

時代が進化しても人という根本が変わらなければ結局やってることはいつまでも一緒な悲哀。

かといって変わりすぎるとそれはそれで人間からかけ離れてもいると思う矛盾よ。

 

一番楽なのはなんらくくりもなくつっかかりもしない人間であるのもかわらぬだろう。

それがいいけど難しくもある。