溶ける寸前の雪だるま

溶けきるまでの日々。ネタのような雑記のような創作のような文章を垂れ流しているブログ。

気持ちは胸に収められても物はそこに残るから

 

張り子の虎を本物の虎だと言い出すのは虚勢でも何でもなくやべぇ奴でしかない。

 

といったところで張り子の虎という言葉自体は知っている人は多くても、実際の張り子の虎を見たことがある人っていうのは現代ではどのくらいいるのだろうか。

 

あの……なんか……首ががっくんがっくん動く奴よ。

赤べこの仲間よ。

赤べこも見た事ない、触れて事ない人もいるか。

 

くそ失礼だがあれよ。

お土産にもらっても正直扱いに困るやつよ。

民芸品って大体そうだけど、センスとか相性とかぶち抜いてくるわけで。

それこそもらって嬉しいやい! ありがとうだい! という心の張り子の虎をこっちも装備して返す必要が出てくる。

 

なんか適当に珍しいもの、ネタとしても買われがちな傾向みたいなもんもあると思うのだ。

北海道いくやついくやつ熊の置物かってくるのやめろよ本当に、マジで、本気で。

一個ならいいんだよ玄関なりに置けるから。

二個も三個もってなると話は別になってくるでしょうが実際。

民芸品はもらう人のセンスに合わないと厳しい事を知るんだよ。

でもお土産としてはわかりやすく土地柄を出せるからか選ぶって人もいる。

 

お土産はお土産だから文句は言いにくい。

民芸品ともなればなんか言いにくい感も増す感じがする(個人差があります)

でもな、

うーん、思い浮かばないからこれでいいや。土地独特のものみたいだし。

っていう考えはな、それ他の人もやるねん。

 

消えものにしよう。

もういっそ何が喜ぶかわからないようなら消えものにしとこう?

熊の置物や張り子の虎でジェンガできるようにはならなくていいのだ。

張り子の虎並べて首が全部がくがくなってる様は一瞬おもしろいけどずっとじゃないんだよ。

虚勢は張り続けるもんではないのと同じよ。

 

いや虚勢にしても同じようなもんなん個もはおかしい。

同じような虚勢はってるのを見かけるのが当たり前の現実だとしても、お気持ちと違って物は場所をとる物体としてそこに残っちゃうからな。