溶ける寸前の雪だるま/脊髄反射のように書いてるネタ短文っぽい何か

溶けきるまでの日々。ネタのような雑記のような創作のような文章を垂れ流しているブログ。

いきんなよ、は生きんなよと誤変換すると二段飛ばし以上の冗談にならない罵倒に変化する

 

いきり。

調子に乗ったような発言をすること。

 

いきがるな。

いきがんな。

等はなんか消滅傾向なのか、いきる、いきりに侵略されまくった感。

 

いきる。

 

いきるとはつまり生きるということ(違う)

 

人は虚勢を張ってでも生きていかねばならぬという啓示だったのだ。(違う)

 

その虚勢を指摘されても、人は生きる。そういうことよ(違う)

 

なぜ人がいきるのかって、生きたいからだった。つまりイキってる人はとても声明を実感したいという宣言をしているという事なのだ(違う)

 

自分は今生きている!

 

ということをこれでもか! というくらいその身に浴びたいのだ。

使い方間違ってだいたい浴びてるのは嘲笑とかが多くなってる気がするけど、それはそれで生命は実感できてる?

 

まぁ、生命の実感としても、引き返せる範囲にしといたほうがいいよな、と思う。

 

”なんかこれ言ったら(やったら)かっこいい(うける)んじゃね”

 

っていう言葉はいったん頭で考えたほうがいいことが多くなってきたよね。

特にいきりがちな人は人を貶める発言を上からいうことでなぜかそれをウける/受け入れられて賞賛されると思ってしまうことが多いみたいだから。

 

自分自身も気をつけねばならない事だ。いきってないつもりでそう見られることは多いのだし、人は知らずに慢心する。

 

自分がいつそうならないとも限らないのだ。生きているのだから。

うまくいきよう。

 

ということで。

もっとうまい事いえるようにいきたい。