溶ける寸前の雪だるま/脊髄反射のように書いてるネタ短文っぽい何か

溶けきるまでの日々。ネタのような雑記のような創作のような文章を垂れ流しているブログ。

空を自由に飛べたとしたら、空に自由はなくなる

 

鳥は良いなぁ、自由に空を飛べて……

 

からの

 

人類、何割か飛べるようになりました!

 

で幸せだろうか、というと割とそうならないと思うのだ。

 

この辺飛んじゃ困りますよ!

 

ってなるよな。この辺は飛べない地域何でー

ってなる。

ドローンがダメなんだからそら人間本体ならなおさらダメ―! ってなるとこ多くなると思うのだ。

 

飛べるようになった!

でも基本飛べるところの方が少ないです。

 

という結果になりかねない。

飛べない子もいるんですよ! なのに飛ぶなんて!

とかいう人まで出だす。

そして

飛ぶのはヒコウの表れ。とんでるだけに。

とか冗談なのかなんのかわからないぶっ飛んだ意見まででるところまでがテンプレだろうか。飛べるだけに。

 

飛ぶことそれ自体に善悪の区別なのどないはずなのに、色々危ないから以外になぜか精神論が入りだしてめちゃくちゃになる所まで想像はしやすいと思うのだ。

そこまでくると

鳥はいいなぁ……

という人はいなくなるのだろうか、と考えたが、考えているうちに今以上に

 

鳥はいいなぁ……(文句言う人とか規制なく飛べて)

鳥になりてぇ。

 

っていう人増えそうだなという結論に。

飛べても自由などないのだ。

なんと悲しい事だろう。

 

ということでなんか四次元空間とか飛べるようにしよう。

それか時間を飛べ。

飛んでるところが他人からわかるからクレームがくるのだ。飛べる人間しかわからないワームホールとか通れるようになれば解決……飛べるもの同士でこのワームホールは我々のものだ! とかいう争いが勃発しそうやな……

 

じゃあもっと飛べる人数が少ないか1人2人なら……

 

捕まって(自主規制)

 

駄目だな。

 

人が飛び立つというのなら、代わりに良心に重しを付けよう。

どこにもいかないようにそれらを縛り付けることができたら、きっと飛べるようになっても大丈夫。

 

おもいやりだけに。

いや、これがいいたかっただけとかじゃないよ。本当だよ。

 

とんでもなにも軽くはならないな。

 

オチも飛び立つさ。

ここにはもうない。