溶ける寸前の雪だるま/脊髄反射のように書いてるネタ短文っぽい何か

溶けきるまでの日々。ネタのような雑記のような創作のような文章を垂れ流しているブログ。

ため技の話はつまりためになる話

 

ためになる。

ためになる話とはなんだろう。

人のためになるとはなんなのだろうか。

 

ため。

ためるということ。

  

ストレスは、たまるという。

たまる。ためる。ためになる。ストレスをおためになる。

 

ストレスのたまる話はためになる話だった……?

 

なんのためだ。

どういうことだ。なんか騙されているのではないか。

そんなものをためにしてどうなるというのだどうなのだ。

 

気合ため、みたいなことをきく。ゲーム等では技なんかとして登場もする。

気持ちとかの勢いとか精神的ななんかエネルギーとかそういうものだ。

気合ためになるはなし。

はいったん置いといて気になる話。

 

気合→ためる

 

大体次の攻撃等で放出されるのだ。

ためたものは放出される。気合放出という技はめったに見る者ではない。自然と次の攻撃で選択できずに必ず使用してしまう事から、なんか長い事維持できないためなのではないか。

 

ではためになる話で溜められているものも放出されているのではないだろうか。

 

何が言いたいのかってつまりは

話が右から左へっていうのは自然に従った法則に基づくものでなんらおかしくないのではないか。

ためになったものが法則として出てしまっただけで、激怒されるような事ではなかったかもしれないのではないかといういことなのだ!

 

ことなのだ、じゃないか。

無理か。

ムリダナ。

 

話をちゃんと聞いていない言い訳は苦しい。

なんのためにもなってないのだ。

 

 

 

気合ためれず。