透視能力が暴走して誰かがいても独りぼっちなんだという発想
とうしのうりょく。
ESP。
自分が見たくないものを貫通してより見たい遠くのものを見ることができる能力!
らしい。
よく、
服だけ透ける!
透け過ぎて内臓が見える見える!
とかいうネタを見るのだ。
物語的に成立するからそれはそれでいいのだが、実際だとそこまで区切りよくなさそうだな、と思ったのである。
何が区切りよくかといえば、ちゃんと服透けてみえるとかじゃなくて繊維の途中とか本当に半端なところで止まったり、皮一枚の間で止まることだってあると思うのだ。
血管の半分とかの位置で止まるともうスプラッタ大好き民大歓喜であろう。それ以外はしょんぼりするだろう。しょんぼり。
むしろあれである。
対象指定ができないと悲惨である。
位置指定。位置指定しかできない。
そこを取りぬけるものがなんかCTスキャンみたいに見える。
一人SCスキャン(見る側)の誕生であった。
他人の病気(CTもどきでわかる範囲)を素早く察知!
の前に自分が(精神的に)病気になってしまいそうな能力だ。
やはり区切りがよくないと人には過ぎた能力だと思う。
それも慣れてしまうのだろうか。人は慣れてしまう動物でもあるらしいときく、そうでもないと思うけど。
初めてCTとか受けた時
わー、輪切り見るのは毎日だけど、される側になるのは初めてで新鮮だなぁー!
とかいう(医者でもないのに)感想を言いそうで、なんかちょっと闇を感じる。