溶ける寸前の雪だるま

溶けきるまでの日々。ネタのような雑記のような創作のような文章を垂れ流しているブログ。

引かれ合う力が生まれてしまうのか。磁石か何かか

 

1秒前の自分をそっくり写し取った自分。

コピーであり、偽物である、自分ではないと言い切れるだろうか。

 

この野郎! 俺が本体だ! この偽物め!

 

というのは、創作においてはたまに見るパターンである。

己の能力、または何かのきっかけによって自分が増え、増やした、その結果本体がわからなくなってしまうという。

 

なんで競うのだろうか。持ち味を生かせというではないか。全部味が同じ? いや全部同じ味のお菓子でもおいしいものはおいしいでしょ。そういうことよ。味の解釈がおかしい? お菓子だけにっつってね

 

あれか。

ドッペルゲンガーやん! やっとかなきゃ死んじゃう!

的な?

違うか?

複数の自分がいたらどうなるの?

どっぺるどっぺるげんげんががー

で、見て死ぬまでの時間が加速するの?

逆に長くなりそうな気もするが。

 

それか本当の自分選手権でもやってる?

本当の自分がだれだかわからない。

ということで人間は本当の自分を探しがち。

自分同士の戦いも自分探しの一環だったりするんだろうか。殺伐としてんな。

インド旅行にでも行かせたら解決しないだろうか。インドとかにいきがちじゃん。解決しそうじゃん。

 

いや、実はもっと切実な

自分が複数いたら戸籍も困るし近所づきあいも困るし……

みたいな問題か?

うぉぉぉ! 今のままの生活基盤を手に入れるのは俺だぁ!

的な。それならなんかわかるところもあるかもしれない。割と切実。

 

自分がいるなんて気持ち悪いだろ!

 

というか自分だって即座にわかるの割とすごくね。

自分の声を録音して聞いたら違和感あるやん。自分の姿もぱっと出されてもわからなくねと思うのだ。

なんか見たことあるような気がする……誰だっけ……

誰だっけ……(昼食)

誰だっけ……(夜飯)

誰だっけ……(風呂)

誰だっけ……(オフトゥン)

 

俺じゃね!?

 

くらいのタイムラグあっても別に不思議ではないと思う。

直感で……っていうけど、人間の直感て割とあてにならないから。

 

とはいえど、自分とは言え自我を持っている人間なわけで。

いや、倫理観云々じゃなくて。

現実的にやっちゃったらそれはそれで困るよね? 

って話である。

誰が掃除すると思てんねん。

 

別問題として、同士討ちの可能性もまた高いのである。

特に1対1の場合、思考形態が同じであるから確率で同士討ちが起きかねないと思うのだ。クロスカウンターの連打どころじゃない。

殴りかかれば拳同士がぶつかり続けるとかいうシュールな状況になる可能性もあるのだ。

後の先狙いとかするとずっとお見合い状態だぞ。

 

わかったぞ。

つまりあれか。

実は殺伐としているようでしていないパターンだったりするのだな?

 

自分の分身が出てくると消したくなるのはあれだな?

 パズルゲーム的な本能がプラスされるんだな?

 

あ! 同じ種類だ! 集まって消えなきゃ……!

という使命感に包まれるのではないか。

そう考えるとパズルゲームもまた別の側面が見えるのではないか。

 

 

なんか色々思考がずれてきたな。

終わろう。終われ。

分身が出てきて続きとか書いてくれよ。

 分身もここまで書いて嫌がるか。

そうだよな。