溶ける寸前の雪だるま/脊髄反射のように書いてるネタ短文っぽい何か

溶けきるまでの日々。ネタのような雑記のような創作のような文章を垂れ流しているブログ。

空に落ちていったんだ

 

物事には重さがある。

 

この話題は重い。

この話題は軽い。

 

とよく聞くし、言うだろう。

話には重量があるのだ。

(比喩てご存じ?)

 

つまり、筋肉である。

 

何が?

 

関係ない?

 

いや、ある。

重さである以上、筋肉をつければそれは解決できるという事ではないだろうか。なんだってへっちゃらだい! ってことやろ。せやろ。

 

重い話? はは、大丈夫さ。軽いダンベル程度だね。

 

筋肉をつけてさえいれば、そういえるのではないだろうか。

というかどのくらいの重さなんだろうか。何喰って何カロリーでどういう栄養素だ。

 

この話、重い……

 

といえど、それってどのくらいなんだろうか。

喋れているわけだから、潰されているわけではない。100も200もないと思う。

相手はまだ喋っているのだから、多分地面に落としてしまっているわけではない。

つまり重さを感じ続けている。

持っている状態ということだ。

持てる範囲の重さ。

持ち続けることができる範囲の重さ。

お米の袋くらいだろうか。

 

でも現実、お話をいくら聞いたところで筋力はつかないのだ。

重いものを背負っている。

そういったところで鍛えられはしていない。

現実の筋肉では話のおもいを受けきれないという証左なのかもしれない。

 

しかし、受け止めるには体力が必要なのは間違いない。

話もダンベルも重いものを受け止めるなら体力も必要だ。

 

話をいくら聞いてもムキムキになることはできない。

でももしかしたら

話聞くのだるい

という事を隠し続けると、顔の筋肉はもしかしたら現実的に鍛えることはできるかもしれない。