四つになったり六つになる可能性だって秘めているかもしれない
ケツが二つに割れちまったよ!
最初から割れてんだろ!
的な会話をたまに見るのである。
テンプレート的なジョークの一つといって良いだろう。
本当にそうだろうか。
割れる。
元は一つであった可能性がそこには残されているのではなかろうか。
元々ケツというのは割れておらず二つだった。
何かがその一つを二つに割ったのだ。
ぶつかりあった個性と個性かもしれない。右と左は一つのようでいて二つだった。だから現実、二つに割れてしまったのかもしれない。
それは最初から二つと呼んでいいようでまた別の話だと思うのだ。
過程。
結果だけではなく、過程も見ようではないか。
そこでは例え今がそうであったとて、という何かを我々に教えてくれるのだ。
ケツはそれを身をもって我々に教えてくれているのだ。
自分からは見えないから教えるばっかりでは?
おシリあいにだけ親切なんだよ!
人にやさしく、自分に厳しくしようというケツだんをしたのだろう。