炭酸が苦手な人に炭酸をススメるのはコミュニケーションでなくただの嫌がらせ
炭酸が抜けた炭酸飲料を炭酸飲料と呼ぶか否か。
元々は炭酸が入っていたから炭酸飲料でいいんだよ。派。
いや、もう炭酸入ってないなら炭酸村にはいられないよ、悲しいけれど炭酸族とは認められません。でも、もしまた炭酸が入ったら……その時は……帰って来いよな……派。
炭酸を通ることで抜けた後も他の炭酸が入っていない飲料とは一線を画すよ。一線を退いてもベテランはベテランの味があるやろ、そういう感じよ。派。
昔はあんな奴じゃあなかった……今じゃあ、すっかり気が抜けちまって……あの時のオマエはどこにいっちまったんだよ……泡と一緒に、気持ちまですっとんでんじゃねぇよ……派 。
色々あるだろう。
元炭酸飲料。
炭酸飲料は蓋を開けられた瞬間から炭酸飲料でなくなっていく。
何をしなくとも。
しゅわしゅわしゅわしゅわしゅっわしゅわ!
と頼んでもいないのに生命のほとばしりを空中に放つのだ。二酸化炭素濃度高くなれとばかりに放出するのだ。
炭酸飲料は二酸化炭素信者なのかもしれない。
何故あんなにもしゅわるのか。
もしかすると水と炭酸は仲良くないのかもしれない。
蓋が閉まっている時は行く当てがない。
行く当てがないから仕方がなく微妙なしゅわりで我慢している。曖昧な笑顔で仲いい振りコンタクトだ。
でも蓋があけば違うのだ。
そこには一見自由に見える空が広がっている。
こんなところにいられるか! 俺は空中に散らせてもらう!
と飛び立ってしまうくらいストレスを感じていたという事なのかもしれない。
何をしても「水だけにさらっと流してよw」といわれる生活にはもう飽き飽きとしていたのかもしれない。
弾けるように怒っても、流れるようなスルーされる生活に。
でも飛び出した先がいいものであるとは限らないのだ。
混ざってしまえばそこにはそこで空気の濃度派閥がまっている。
チッソさん今日もいい感じっすね!
と最大派閥にごまをすらなければならなくなるかもしれないことを、蓋の中の炭酸たちはまだ知らないのだ。自分が少数派勢力であることを。
目の前のストレスにとらわれてしまえば、広い視野を持つことは難しい。
もっと大きなストレスがそこにあるのは見えるはずなのに、まるで透明であるかのように視覚にうつることはないのだ。
たんさんでんちって最初聞いたとき、しゅわしゅわするのかな? って考えたりしなかった? しなかったか。そうか……(なんかまとめるのをめんどくさくなってはじけた終わり)