溶ける寸前の雪だるま/脊髄反射のように書いてるネタ短文っぽい何か

溶けきるまでの日々。ネタのような雑記のような創作のような文章を垂れ流しているブログ。

来世は貝になりたい

 

貝になりたいじゃなくて、海になりたいだとなんかポジティブというか凄い目標みたいに思えてきませんか。きませんか。そうですか。

 

 

来世。次の世の中である。

次の世の中では貝という殻付きの存在になって閉じこもってしまいたい、みたいな比喩ではあるが、実際次の世に貝になってしまったらどうだろう。

人の思考が残っていたらまず後悔しかないと思うのだ。

感覚が人のままで貝になるとどうなるか、考えるにおぞましい。

本能的に操作ができるだろうか?

貝として生きることができるだろうか?

貝の道端会議にちゃんと参加できるだろうか?

貝の移動方法は取得できるだろうか?

なにより人間にゲットされない種類の貝だろうか?

というか、ここ養殖場じゃなかろうか……?(詰み

 

網の上一直線。そういうこともありうるのだ。

さぱっとやられるならまだ慈悲もあろうが、網焼きでじわじわとかじっくりことこととか、生き物としてもそうだろうが人として残っているともはやなんともいいがたい。

 

そこまで考えて思ったのだ。

来世は貝になりたい。

は前向きな発言ではなかろうかと。

だって、来世があっていいという発想なのだ。次に挑むチャレンジ精神を感じるではないか。

もし後ろ向きであるなら来世は求めないと思うのだ。

でも……自分、悟ってないし……解脱なんてとても……

という、控えめに自分を知る精神もある。

これを前向きといわず何と言おうか。貝になりたいというやつは解脱云々考えねぇよ。比喩だし。

貝になって自分を新しいものにしたい。そういう修行的サムシングなのではなかろうか!そんな目的があったとしても貝を選ぶだろうか?

 

そう。後ろむきに見えても進行方向に目を向ければそれは前になるのだ。

どっちかに進んでいればやがてそれが前方になる。

そういうことを貝になりたいという発言から読み取れという事なのかもしれない(絶対に間違いだと確信しているまとめ