溶ける寸前の雪だるま/脊髄反射のように書いてるネタ短文っぽい何か

溶けきるまでの日々。ネタのような雑記のような創作のような文章を垂れ流しているブログ。

はじめては無数にあるけれど

 

初夢。

 

今年初めて見る夢。

 

 

いや、わかる。わかるのだ。

今年ね。一年っていう大きなくくりね。

うん。その中で初めて。うん。わかる。

 

でもなんか初っていっときゃいいみたいなものを感じるのだ。

それで初ならもう毎日が初でいいじゃん。

そう思わなくもないのだ。

1日を大切に!

っていうなら1日に初めてみる夢だって初夢にしたらいいじゃん。

1年という区切りで初の冠がつくのはどうだろうか。1日がないがしろにされていないだろうか。1か月が柱の隅からこちらを睨んではいないだろうか。1週間がどうでもよさそうな顔をしていないんだろうか。

 

初夢には一富士二鷹三茄子というものがある。

 

そろそろ変えたらどうですか。

初夢に居座る大御所。

こいつらがずっといるから、夢若手はくることができないのだ。

自分ら初夢の縁起物ですからぁー

でどこうとしない。譲り合いの精神。そしてなにより、今の人間はこれらの夢を一年通しても見ない事ありえる状態だぞ。

 

何もかもを変えたほうがいいというわけではない。

けれど、現代に合わせていった方がいいものといのがあることも事実なのだ。

 

まぁ初夢の有難みがあるものなんてもんは別にどうでもいい人も多いから合わせなくていいものに属するとは思うんだが(台無しまとめ