おきまりのあいさつ
言葉はそのシチュエーションによって印象をがらりと変えるのだ。
人間は滅びの時を迎えた。
1分1秒。
息することさえ辛い。
刻々と絶滅までのカウントダウンを刻み続けている。
0になるのはいつの日だろうか。
いつ滅ぶともわからぬ絶望の中、それでも人間は息をする。
息をすることを止めることは、前に進むことをあきらめることだ。
そんな、形だけの言葉さえ支えにしながら、肩を寄せ合って毎日を生きている。
権力はなくなった。文明がなくなった。
ぼろぼろだ。
かつて、この星で栄えていた生物という強さは見る影もない。
ぼそぼそでまずい食料。
それだけなのにごちそうに思える。
かつての時代が嘘だったかのように、せめて栄養だけでも取れるだけありがたいと、味を度外視した度外視した何かを口に詰め込むだけの日々。
また1人、いなくなる。
毎日毎日、繰り返した光景だとて、重みが減るわけではない。いつだって、体の重さは同じだった。
慣れたくない思いと、慣れる思いと。
苦悩する中でも、朝日は昇ってくるのだ。
人間の都合など関係なく、したり顔でおはようごさいますと告げてくる。
そこに感じる、人を焼き尽くすような熱。
いつもは鬱陶しいそれも、今日だけは、今日だけは良かったと思おう。
なんとか、生き繋ぐことができた。
それをこそ、ただ喜ぼう。
喜ぶ心をなくさぬように、ただ言葉を紡ぐのだ。
あけまして、おめでとうございます……
めんどくせぇ。
上に雑。
だけどまぁそんな感じで、こたつでスマホで
はいはいあざまーす
と、意味は同じなはずなのに印象というのはどうしてもことなってしまうのだ。
でも自分が言うなら他人から美しかったりなんか違う表情を見れたりしようが後者のほうがいいなと思うばかりである。
(むりやりにまとめ