溶ける寸前の雪だるま/脊髄反射のように書いてるネタ短文っぽい何か

溶けきるまでの日々。ネタのような雑記のような創作のような文章を垂れ流しているブログ。

恐竜に憧れた時期はない

 

熱い話だとか、冷たい話し方だとか、そういう比喩を聞いたことがある。

 

そこの辺でちょっと考えて思ったのだ。

 

人間のお気持ち状態のベーシックって冬なの?

と。

 

どういうことかといえば、

熱い話のほうが基本的にプラス

冷たい話という表現は基本的にマイナス

であるからだ。

 

お気持ちが冬だから熱い話がプラスに感じるんじゃないの?

 え、夏場なら逆じゃね?

 

という話なのだ(超メンドクサイやつ

 

ふぅーこの糞熱い時に暑苦しい話をするなよ

 

というつっこみはあれど、極寒のような冷たい話をされたなら

おいおい冬に凍っちまいそうだぜ

 

というツッコミよりは

 

あ、はい。すみません。

 

みたいなノリのほうがイメージできる感じだ。

お前の話でYAKEDOしちまうぜ!

みたいなノリなのに。なんか冗談もきかない雰囲気になってしまうのだ。

熱い話は夏の暑さで倍増するっぽいのに、冷たい話はどうやら夏の熱さで中和できないのだ。

今日暑いから冷たい話でも大丈夫な空気は冗談でもないのだ。

 

だから、つまりは人間の心の基本部分は冬なのではないかという事なのだ。

やけどしちまうぜ! はあくまでもしそう! でしかない表現なのだ。実際火傷するときにやけどしちまうぜ! してる余裕はないからだ。

やけどしちまうぜ! するってなんだよ。そう、冷たい話というのはこういう冷静になれるというプラスもあるはずなのだ。

 

でも、人間も動物だから。

基本的には冷たい環境より暖かい環境のほうが生きやすいのだ。

人の心はどうして冬が基本になってしまったのだろうか。

本音トークも毒事是とされすぎて、ちょっとした緩衝材や温度さえ忘れ切ってしまうのか。

氷河期か。氷河期が到来せんとしているのか。

 

心の恐竜が全滅しようとしているのではないだろうか!

立てよ心のティラノサウルス(想像)

なんかティラノサウルス(現実)は羽があったりなかったりうろこだったりそうじゃなかったり走れないと言われたり言われなかったりするが、心の中のティラノサウルス(想像)はいつだってなんか映画に出てきそうな強いやつだから!

心のプテラでドンドンしろ!

 

心の中を騒ぎ立てさせるのだ。さぁいざゆかん心の恐竜弱肉強食さばいば……るまでいくと別の意味で場が冷えそうだからなんか、なんかふんわり仲良くしとけよ! ディフォルメとか過剰にされとけよ!

なんかよくわからんけどふんわりしとくと橙色ぼやかしたみたいな空気感出るから多分!

なんかよくわからないけど色々気遣うあったかい悪い奴が隠れやすいような気もする空気だって作れるはずなんだ!

そうして心を常夏ベーシックにしようではないか。

 

そうすれば、冷たい話も受け入れられてしまえるような土壌ができるんですよ!

 

皆はどんな温度だって通じ合えるんですよ!

 

人はそうして前向きに生きていかないとだめなんですよ!(ありがちで底が浅い論でまとめ

 

 

体感温度は実際はめちゃくちゃ個人差あるからどうしよもないね。