過程という結論
回らない頭を回転させる方法はないだろうか。
と、そう考えた時、すでに頭は回転を始めているかもしれない。
とかいうそんな哲学的サムシングはどうだっていいのだ。
必要なのは、必要だと思えることがかける方法である。
必要なものを思い浮かべられない時はやはり頭は回転してない判定を下さなければならない。
ゴールしていなければ、点数をつけてもらう事はできない。
だから考えたんですよ。過程を公開しようと。
つまり、これは考えることができなかったという結果です。
過程を結果にする能力っていうとなんだか能力バトル的に聞こえてくる不思議。
〇〇する能力ってつければなんでもいけそうではある。
どうしようもないよなという思考を形にすることによって、形どれないことを形にしてしまうのだ。
スライムのようにどろどろとしたものでも、なんとなく見えるようになる。
全く回転してないことは変わっていないにもかかわらず、そこに回転した結果が残るのって素敵なことじゃないんですか!(強引なるまとめ