アンブッシュは紳士のたしなみ
とある日、前腕が気になって触れると、そこか凸凹する感覚をその指先が捉えた。捉えてしまった。
僕はその正体を知っていた。知ってしまっていたのだ。
頭の中でなんかロボっぽいものとかが戦っているイメージとか、じゅきゅーん、みたいなビームが撃たれるっぽい音とかが流れていく。涙も流れていく。
ツケだ。これはツケなのだ。
今までの運動不足と筋力不足のつけ。
それが、セルライトというキャッシュバックでサービスされただけの話なのだ。やったね! 万歳! 儲けた儲けた!
ファアアアアアアアアアアアアアク!
馬鹿かよ貴様ぁ! 儲けなくていいやつでしょ! トータルでマイナスでしょそのキャンペーンは!!!
と、頭の中では取り乱しつつ、無表情にセルライトをむにむにとしている僕がそこにはいた。
落ち込み期間からの幻聴ヤダヤダ! で、とにかく飯かと減った体重を戻そうと食ったのが悪かったのだろうか。でも食わないとだめっていうやん。それは不条理じゃおまへんか? と僕は苦情をいいたかった。誰かに苦情を言いたい気分だった。誰に言えばいいんだ。誰に向かって苦情をいえばセルライトは僕という巣穴から飛びだってくれますか? とびだすセルライト。スプラッタかな?
(リストカールとか……いいよね……いい……)
でも、お前は呼んでないのよ。悦に浸ってるところ悪いけど温暖化を感動的にでも止めて消え去るがいいよ。そうしたら、少しは感謝したくなるだろうさ。
次の日には聞こえなかったから病院に行かなかったのが悪かったのだろうか。僕のせいなのだろうか。これって僕が悪いのだろうか。認めたくない! それが若さだとしても!
幻聴さんが唐突にまた出てきやがった。
お前、筋肉の話題になると早口になるよな。
とかいったらどっかいってくれないだろうか。
僕はあまり人が傷つく言葉を吐きたいタイプじゃないけど、幻聴ならちょっといいよねって思う性格ではあったようだぞ。聞こえなくなるなら存分にいうぞ、僕は。新しく知りたくなかった自分の一面を知ってちょっぴり引いてるんだぞ僕は。
(汝、箸を持たずにダンベルを持て)
「やかましい!」
「あぁ!?」
「すみません違います! 気のせいですね! そうですよ!」
「……あ。うん」
やべぇ奴いるじゃんみたいな目で見られてしまった。ちょっと今時気合の入れ方間違えてんじゃねーのそれ風のにーちゃんが引くってよっぽどだからな!
それもこれも外で幻聴が話しかけたりなんかするからだ。
我ながらワードが強力すぎる。他人から見て、これは本気でヤベー奴なのでは?
やはり病院にいくべきだ。これ絶対いくべきだよ。お外歩いている時にセルライト発見して、自覚してロボット戦争思い浮かべて現実逃避しながらため息とかこぼしている場合じゃないよ。割と精神がピンチだよこれは。
コミュニケーションが苦手だとか、人が苦手だとかそういうレベルの云々の話じゃなよコレは。切実。これもう切実だから。
(セルライトは脂肪です。運動すれば大丈夫! ほぉら、筋肉で解決だ! 有酸素でもいい。しかし、筋肉を鍛えることをお勧めするぞ! では! リストカールのやり方を説明しよう!)
うるせぇ。話は進んでねぇんです。では! じゃねーんだよ。気合を入れるな。
思い浮かべても、実際うるせぇと口にしても反応が返ってこない。マジでやっかいな幻聴である。
いや、よく考えたら反応が返ってきても嫌だった。そこはごめん。
(まず、ダンベルを用意します)
持ってねぇよ!
さも持ってるのが当たり前みたいに言うのやめろや。自宅にダンベル常備してる家じゃねーんだよ。
(……!?)
え? 1キロとか軽い奴くらいはあるでしょ、みたいな戸惑いも見せるな。雰囲気でアピールするな。幻聴の雰囲気ってなんだよ。『え! 持ってないんですか!』的な、みんなの常識でしょみたいな風なのもやめろ。マイルールだから。それほとんどの場合がその界隈のルールでしかないから。
ああ、当たり前なんだろうさ。お前の頭の中で……いや、幻聴の頭の中って即ち俺になるのでは? それはいけない。だって、僕は正常……でもないのかなぁ。悲しいなぁ。
(じゃあジムに行けよ!)
なんで切れてんだ。
ていうか自分が都合良いと思った時だけ反応すんのやめてくれますか。戸惑いが大きい。
(ダンベルを買おう! まずは軽いのでいいぞ! 重みを調整できるやつも売ってるが、まぁ最初は握りやすさとか落としたときとか、床に置いて足をぶつけた時等も考えて、ラバーめいたやつでも全然オッケーさ!)
ラバーめいたってなんだよ。
『ラバー付いたやつ』とかでいいだろ。変な個性だそうとすんなよすでに個性の塊みたいな幻聴なんだから。
個性の塊みたいな幻聴ってパワーワードすぎない? 大丈夫? 僕大丈夫じゃなかったわ。だったら逆に問題ないな。
しかし、セルライトは消したいし幻聴も消したい。
それだけは切実な事実だ。特に後者は。前者はまぁ別にそこまでは。
(……買ったら解決するかもしれませんぜ、だんなぁ)
「うひっ!」
「……」
ぼそっと耳元で囁くようにいうのやめろ!
前方から来てる人が無言で道変えたじゃねぇか! 傷つきやすいガラスハートなめてんじゃねぇぞちくしょう。あとキャラ整えようよ。そのくらいはしようよ。
しかしそうか、少しでも消えるならってのもあるけど、興味がゼロってわけでもないし、ジムにはいく勇気もな――
「何故……ジムが目の前に?」
ふと、目を上げればそこには見覚えのないジムがあった。
そういえば、僕今日で書ける予定とかまったくなかった。どうして外に出たの?
なぜ僕は寝間着で平然と歩いていたの?
…………。
こっわ……怖っ。気付けば操作されている感あって怖っ。せめて着替えさせろとい怒りもあるけど、まず怖い。
なるべく早く病院に行かねばならない。
僕は今度こそ硬く決意した。
だって完全に危ない奴になりかけてる感ある。
自覚できるレベルであるのは本当にまずいから。
セルライトがあるとか目じゃないレベルで。
もちろん目の前にジムがあるからとひょいひょい行くわけもなく、僕はUターンして帰路につくのであった。
しかし――ここがどこかもわからない。
迷った。
帰るのには数時間を要した。金もないし、人に貸してくださいという勇気もなければ交番もなかったのだ。
い、良い運動になったよ……