山のぼらない
登山。
キャンプ。
何やらその辺のアウトドアというものは、時折アニメや漫画などからも流行ることがある。
俺はやらない。流行ってもやらない。
だから虫はダメだって言ってるでしょ!!!
と一人で叫んでしまいそうだからいかないのである。一人で叫んで「不審者いるわぁ、やっばぁ」というドン引き顔をされて、がくりと膝から落ちたくないのである。
じゃあ虫がいない冬やればいい?
冬は素人が下手に手を出しちゃダメ感あるでしょ!!!!
冬は寒い。
それは足を踏み出せば歩くということくらい当たり前のことなのだ。
冬場の山とかもう見た感じでヤバいのじゃないか(語彙力消滅
変に迷惑かける自信しかわかないのだ。人知れずやれるならともかく、現代社会はアウトドアでそうもいかない。迷えば探されるし、帰ってこなくて捜索が入るし。
誰かが見ているものである。
誰かが見ていると、なんだか大ごとになっちゃう想像が勝手にフルマラソン準備に入ってしまうのだ。42kmちょっとも走り出されては、俺にはゴールテープを準備する余裕もなくなってしまうのだ。
できる人は楽しいのだろうなと思う。
詳しく言うならできて、それを楽しめる性格を持つ人は、だろうか。
結局いろいろ理由をつけているが、自分の傾向的に、楽しめないのがほぼ確定しているからいかないというだけであった。
実際やったことがないわけではないからこそである。
登り切ったことでの解放感とかなかった。はぁ、と思った。どうやったら得られるんだ良いと感じられるほどの達成感。
キャンプを準備してそれが楽しいと思わなかった。何を楽しめばよかったんだ。寝苦しかった。何か起こったらという不安しかなかった。あと、虫。
外で食っておいしいものは内で食ってもうまいでしょ!!!!(情緒無
外で食べるスパイスとか感じられる舌の細胞がないらしいのだ。全く残念だった。
物事が作業化するというのが敵であるのと、マイナス要素の方が心に大きく残ってしまう根本の性格が問題でした。
うるせぇ! 根元から性格変えられるならすでに変えとるわ!!!
心の持ちようなんだよ!
お前はまだ〇〇の奥深さを知らないから楽しめないだけなんだよ!
って、手段がクソ根拠のねぇ、もてない側にとっては全く意味も効果もかけらもない精神・根性的手段だけで無理やり〇〇最高論に持っていこうとする人は信用しないことにしています。
疲れるからね!「そうですね」「わかります」は便利な言葉ですよ!友達になれると思います、僕たち!
全く効果が感じられない方向性の違う自己啓発セミナーとかに強引に連れていかれそう(偏見
山関係なくなって汚いものがあふれてきてしまった。
毎日のネガティブ!(さよならの挨拶